マキノノゾミのブログ
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日本におけるバレンタインデーの歴史。(オレ史観)
えー、ま、何です、自慢に聞こえたら申し訳ないんすけど、四名ほどの方からチョコレートを頂戴いたしました。
わざわざ郵送で送ってくださった方、どうもありがとうございました。
ま、季節モノといいますか縁起モノといいますか、とにかくありがたくいただきましたんで、この場を借りてお礼申し上げます。
せっかくなんで、ま、バレンタインデーにまつわる思い出話をひとつふたつ。

けっこう歴史的な証言だぜ?

オレがバレンタインデーなるものの存在を初めて知ったのは小学校3年か4年の頃だったから、1969~70年である。
オレの感覚ではその情報はまだまだレアだった。
とにかく外国の風習ではそういうことをするらしいという噂の感じで、そんな小洒落たことを知っている小学生は間違いなく浜松ではまだ3人未満だと思われた。(注:あくまでオレ主観)
そこで、当時ちょっとオマセでキザな小学生だったオレは、それをさっそく実行に移したのだ。
その時点ではまだ「女の子だけが男の子にあげる」って話ではなくて、とにかくその日は「好きな人にチョコレートを贈る日だ」ということだったので、オレは近所の駄菓子屋で明治チョコバーを買って、当時好きだった助信町の石塚由江さんちに出かけたのだった。
石塚さんちは「八百由商店」という八百屋さんだったので、よく考えたら石塚さんちでもチョコバーを売ってたのだが、ま、そこはそれ気は心だよ。
ところが、石塚由江さんは習字の塾に行っていて留守だった。
それで仕方がないので、石塚さんのおじいさんにチョコバーを言付けたのだが、この時、ひどく説明に窮したのを覚えている。
そりゃそうよ、浜松全体でだってまだ知ってるのはごく数人という外国の風習を、明治生まれのじいさんが知るはずもない。
どうか石塚由江さんに渡してくれろと頼んでも、理由のわからないチョコバーを明治生まれはなかなか受け取ってはくれないのだ。
ま、いま考えたら直接彼女に渡せよって話だがな。
たぶんはるばる遠くまで出張ってきていたので、出直すのは真っ平だという気持ちがあったんだろうな。
うむ。ダメじゃん、抜本的に。
それで押し付けるようにしてチョコバーをじいさんに預けて帰ったのだが、その後、石塚由江さんとオレがどうなったかというと、べつにどうもならなかったのだ。
5年生になってクラスが別々になって、それっきりだ。
ううむ。何やそれ。
甘酸っぱくも何ともないじゃん。

71年。
6年生の時は、もうバレンタインデーははっきりと「女の子から男の子へ」という日になっていた。
鈴木ヤスジが松島トモコさんからストロベリーチョコをもらったことが6年1組の大事件になったりしてた。
オレが本格的に女の子からチョコレートをもらったのは中学1年の2月で、中部中学の高橋さとみさんからけっこう長い手紙と一緒にもらった。
本格的なハート型のチョコレートだ。
これはもったいないので、とりあえず食べずに冷凍庫の奥に隠しておいた。
当時の冷蔵庫の冷凍庫は夏以外にめったに開けない場所だったから安心して、で、ときどき取り出してはしみじみながめて独りでニヤニヤしていた。
で。
ある日箱を開けてみたら半分になっていた。
母親が見つけて食っちまっていた。
73年だ。
まだ母の世代にはバレンタインデーは常識ではなかった。

76年。
高校2年。
バレンタインデーが近づくと、何となく男の子も女の子もそわそわしてる感じがあった。
その認知度はもはや現在に近いが、それでもまだ中学生と、せいぜい高校生のものだったのだと思う。
その週の朝礼の壇上で、生徒指導の化学の織田先生が顔を赤らめながら浮き足立っている生徒たちを戒めた。
「諸君、学校は野生の王国ではない!」
野生の王国ってあなた。
最初は何の話か意味がわからなかったが、つまりは、いい年をして分別もある大人が「セント・バレンタイン・デー」などというこっ恥ずかしい言葉を口にすることが、まだかろうじてはばかられる時代ではあった。

ま、昭和は遠くなりにけりってことだ。

長々書いてそんな結論かよ。
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by mop-makino | 2007-02-15 03:41
失言しちゃってすみマシーン。
『雪まろげ』は立ち稽古に入って、いまや稽古佳境である。
この時期の演出家ってのは楽しくもあるが、体力的にはいちばんしんどい時期だ。
べつに稽古場でそんなに張り切って動き回ってるわけではないのだけど、家に帰るとドッと疲れてる。
帰宅すれば別の仕事もあるのだが、これがなかなか手がつかない。
ま、仕方ないね。
身体はひとつだもんな。

で。
稽古には関係ないけど、最近思ったこと。
もうさんざん語られてる話題で恐縮なのだが、あの、例の柳沢大臣の失言問題である。
あれさぁ、実際に講演の前後を聴けば、そんなに大騒ぎするようなこととも思えないんだけどなぁ。
たしかに「それ言っちゃまずいだろ」っていう言い草ではあるんだが、言った瞬間に本人も気づいて何とかフォローしようとしてるしさ。(ま、それでも全然フォローにはなってなかったけどな)
まるで鬼の首とったように勝ち誇った顔で非難している某女性議員なんか見ると、やっぱりあんまりいい気持ちではない。
あげく、つい「必要悪」なんて言葉を思い浮かべてしまうのな。
当然、この場合の必要悪ってのはその女性議員のほうなんだが。
あと「AERA」の駄洒落もいけないよなぁ?
「失言しちゃってすみマシーン」だよ?
どうよ?
この駄洒落を言っちゃった時点で、もう「AERA」編集部には柳沢大臣の発言を批判する一切の資格がないと思うんだが。
うーん。
「AERA」の駄洒落も、あれももう社会の必要悪だな。
そう思ってあきらめるしかない。
失言でいえばさ、もう十年以上前になるけど、阪神大震災の数ヶ月後に復興支援もろもろのためにも増税やむなしみたいな話があって、そのときの大蔵大臣が(たしか武村さんだったと思うけど)テレビで「(増税の決定を)国民の関心の高いうちに」って言ってるのを聞いて「おいおい、ひでぇな、今のは」と思った記憶がある。
ま、たしかにどんなに大きな災害でも世間の関心はやがて薄れるだろう。そりゃそういうもんだろうけどさ。それにしたって、それはずいぶん国民てものをバカにした言い草じゃないかと思ったのだ。
ねえ?
町内会の寄り合いで話してんじゃないんだからさ。
いやしくも一国の大臣がテレビを通じて言う発言じゃないだろうと。
でも、あの時はマスコミも、べつに失言だとか言ってとがめだてはしなかったんだよな。
何かさ、そういうとこがちょっと釈然としないのだよ、オレ。
それともオレが知らないだけで、あの時もくだんの女性議員(まだ議員じゃなかったかも知れないけど)なんかは「あの言い草はひどい!」って吠えてたのかなぁ。
ま、そんなことをね、このあいだ稽古場の行き帰りの電車の中で考えてたわけさ。
ある意味、社会派なオレだ。
かっけー。
ていうか、ホンマのこといえば、オレ自身もあんま頭よくないんで柳沢大臣クラスの失言ならこの先いたるところでしちゃいそうなんだよなぁ。
だからこうやってちょっと擁護みたいなこと書いてんだろうな、きっと。

ダメじゃん。

うん、ダメです。
すみマシーン。
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by mop-makino | 2007-02-11 01:05
恵方巻き食べやした。
お正月の松の内が過ぎた頃からコンビニで恵方巻きが並び始めて、「何とまぁ、気の早いことよ」などと思っていたのだが、早いもので、もうその節分も過ぎてしまったよ。
びっくりだ。
恵方巻きというのはここんとこコンビニのおかげでちょっと有名になったが、オレも関西に行くまでそんなんは知らなかった。
ま、太巻きは美味いからこういうのはどんどん知られるのがいいと思う。
クリスマスにはケーキを食べて、お正月にはお餅を食べて、節分には恵方巻きを食べて、来週はうまくすりゃチョコレートなんか食べることになる。
うん、こういうのはいいよ。
どんどん増えてくれていい。
日本てなぁいい国ですな。

節分といえば、劇団では4年ほど前まで京大の裏手の吉田神社にお参りに行くのが慣例だった。
吉田山の上にあるこの神社の節分祭は毎年えらく盛り上がってて、東一条から山上までの参道にはおびただしい数の夜店が立つ。
これが実に楽しい。
昔わしらは京大で稽古をしていたので、その日は「稽古なんてやってられっかよ」と早々に切り上げてお参りに行ったものだった。
たしか最初に行ったのは88年頃だったと思うが、それからは毎年行くようになった。
参道の入り口近くに毎年店を出す達磨売りの老夫婦がいて、帰りがけに毎年そこで達磨を買った。
この達磨は片目を入れた後に全員で寄せ書きをして、それを公演の守り神にしてたのね。
で、毎年最後の公演が終わると、両目を入れて、節分に吉田神社に奉納しに行くわけである。
で、帰りがけに新しい達磨を買う、と。
これも最初は15センチくらいの可愛い達磨だったものを、つねに前年のものより一回り大きなものを買おうというルールにしていたら、十年くらいたつうちには選挙事務所にあるような巨大なものになってしまい、そうなってくると事務所の中でもけっこう邪魔だから、最後はだんだん粗末に扱われるようになって、何だか本末転倒なようなことになっていたが。
まぁ、そんな行事も何となく東京に住む劇団員たちが多くなってしまい、自然消滅してしまったが、うむ、あれは今思い出しても、なかなか趣き深い年中行事だったと思う。
そんなことをぼんやり思いつつだが、明日からは早くも『雪まろげ』の稽古が始まる。
ああ、また怒涛の日々だなぁ。
ここんとこ正月ボケしてたからなぁ。
あ、そうだ。稽古場用のスリッパ買いに行かなきゃな。
ま、いっちょ気合入れて行くかなぁ。

よっしゃ。
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by mop-makino | 2007-02-04 13:48